多様性を理解し、互いの違いを力に変えていく――。
博報堂テクノロジーズは、社内外でDE&Iの推進に取り組んでおり、その一環として東京2025デフリンピックに協賛しています。 今回は、生まれつきの難聴をもち、自らも自転車競技でデフリンピックに出場経験のある当社メンバー・川野さんに、競技者として感じたことやその経験が仕事にどう活かされているかを語っていただきました。
「やり抜く」と決めた覚悟が支えた競技生活

まずは、川野さんが自転車競技を始められたきっかけについて教えていただけますでしょうか。
川野:元々私は、高校生から22歳くらいまでの約6年間、陸上競技をやっていました。その時に、陸上競技場に行くための「足」として、高価なロードバイクを買ってもらったんです。それが最初のきっかけですね。週末にロードバイクであちこち出かけるようになり、長い距離だと山中湖まで日帰りで行って、往復200kmほど走ったこともあります。この「自分の足で冒険できる」という感覚がとても魅力的で、すぐにのめり込みました。
趣味として楽しんでいたところから、競技として取り組んでいこうと思われた理由を教えてください。
川野:一番は、爽快感です。自転車って結構なスピードが出るんです。下りだと時速70kmほどになることも。そしてスピードが上がれば上がるほど自分と自転車との一体感が増していって、感覚が研ぎ澄まされていきます。そのときの爽快感にやみつきになり、ロードレースに挑むようになりました。
競技を始めた時点で、私は「8年後のデフリンピックに出場する」と目標を定め、どんなことがあっても途中でやめないと心に決めました。実は、それまで取り組んでいた陸上競技や、約10年間続けたサッカーを中途半端にやめてしまったことに後悔があったからです。だからこそ、自転車競技だけは絶対にやり抜こうという強い覚悟を持ってスタートしました。
なるほど、過去の経験から強い決意を持って始められたのですね。競技を続ける中で、特にチャレンジングだと感じたことはありますか。
川野:実はロードレースというのは戦略性がすごく重要な競技なんです。長い距離を走る体力はもちろん必要ですが、頭脳戦でもある。例えばゴール前の駆け引きなどでは、ペースをぐっと上げるときのギアチェンジの音、周りの選手の息遣い、あとは集団で走るので、その中でのコミュニケーションなど、音による情報が重要なファクターになります。私は耳が悪いので、そういった音による情報が少ないという意味では難しい条件で戦っていたとは思います。
ただ、私自身はそれを「難しい」とは感じていませんでした。もうそれが当たり前という感覚で。その代わり、レース前には徹底した準備を欠かしませんでした。たとえば、スタートリストを確認して参加選手を把握し、直近の成績や得意とするコースを調べました。また、当日の路面状況や風向きについてもアプリを使ってチェックしていました。こうした事前のデータに加えて、レース中には各チームの戦略や選手のコンディション、思惑といった“リアルな情報”も取り入れます。そして、自分との力関係を客観的に分析し、ゴールから逆算して「最高の結果を出すにはどうすればよいか」を常に考えながら、状況に応じて柔軟に判断して走っていました。
選手としての川野さんの強みを教えてください。
私の強みは「調整力」だと思っています。狙った大会で必ず過去最高の走りができるという自信がありました。陸上競技でも0.01秒を争っていたので、調整の感覚は身についていたのですが、自転車競技を始めてからは、トレーニングの記録を毎日つけるようにしていました。そうすることで、自分の調子の波を把握できるようになるんです。私の場合、1ヶ月は調子が良いけれど、その後の2ヶ月は調子が悪くなるという波がありました。この波を、狙った大会の1年前から計画的に見て調整し、本番で確実に最高の走りができる状態を作っていました。
そしてそれが功を奏して、競技を始めたときに目標にしていた第24回夏季デフリンピック競技大会出場を果たし、1000mスプリントとポイントレースの2種目で6位入賞することができました。
国を背負って戦う誇りと「やりきった」経験

目標とされていたデフリンピックという大舞台で戦った経験は、川野さんにとってどのようなものでしたか。
川野:日の丸を背負って国の代表として戦う経験は、今振り返っても言葉では言い表せないほどの、本当に素晴らしい経験でした。
デフリンピックでは、多くの国から選手が集まって、自分の国の看板とプライドを背負って戦います。スタートのときには、どんなに仲の良い選手でも「絶対に倒さなければならない相手」になります。ですが、競技が終わった後は、それまでの戦いを忘れ、お互いの健闘を称え合い、国境がなくなる瞬間がくるんです。あの経験ができたことは、私にとって非常に大きな経験だったと感じています。
素晴らしい経験をされたデフリンピックの後、引退を決意された理由や、その時の心境についてお聞かせください。
川野:元々は、デフリンピックが終わった瞬間に、本当に心の底から「やりきった」と感じて、一度は引退も考えました。ただ、その後2025年に東京でデフリンピックが開催されると知り、もう少し頑張ってみようと思い直して競技を続けることにしました。
ですが、トレーニング中に肩を怪我してしまったんです。病院に行くと、肩の骨が削れてしまっていることが分かり、結局リハビリに半年を要しました。ところが、リハビリ後の「さあ、頑張るぞ」という時に、なぜか「もう頑張れない」と感じてしまって。一番の理由は、前回のデフリンピックでやりきって燃え尽きてしまった、というのがやはり大きいかなと思っています。
引退を決意された時、寂しさはありましたか。
川野:アスリートとして、どんな終わり方を迎えるのかなと考えることもあったのですが、実際にそのときになってみると、本当に不思議なくらい何も感じなかったんですよ。むしろ「やりきった」という清々しさしかなかったですね。ここまで頑張ってこられた自分を褒めたい気持ちでいっぱいでした。
新たな世界へ飛び込むことへの期待や不安はいかがでしたか。
川野:私は競技中も会社員として働いていて、アスリートとしてのキャリアと会社員としてのキャリアをデュアルで積んでいました。引退と同時に会社員のキャリアに集約させるだけだったので、大きな不安はありませんでした。前職でも現在と同じ人事の業務をしていて、VBAでマクロを組んだり、RPAを活用して業務の自動化を行ったりした経験もあり、ITの方面に進んでみたいという気持ちも持っていました。
キャリアの新しいステージへ

転職に際して、博報堂テクノロジーズを選ばれた決め手は何だったのでしょうか。
川野:会社選びで私が非常に大切にしていたのは例えば「部活動や実業団チーム、アスリート採用など、会社の事業以外にも社員が主体的に活動できる環境があるか」という点でした。というのも、私の持論として、そういったことを推奨している会社は経営陣がユニークで面白い人が多い傾向にあるんです。
博報堂テクノロジーズはまだ立ち上がって間もない若い会社なのですが、社員が主体的に活動していることがよく分かり、そこに魅力を感じました。
博報堂テクノロジーズのDE&Iの推進に関する取り組みについては当時どのような印象をお持ちでしたか。
私が転職活動をしていた2024年当時はまだ着手しはじめたばかりだったと思います。ただ、色々と調べていく中で「多様な価値観を持つ社員で構成される組織の一体感を、いかに作っていくかが課題」というメッセージをよく見かけました。私にとってDE&Iとは、自分のように分かりやすく障がいがある人だけでなく、隣の席の同僚など、近くにいる人のことをしっかり理解することだと思っていたので、私の考え方と会社が向かおうとしている方向が合致していると感じました。
多様なバックグラウンドを持つ人が集まり、経営陣と社員が意見を交わしながら、行動指針も一緒に作り上げている。「お互いをしっかり理解し合う文化」が根付いていて、そういった人間味に惹かれました。
仕事に活きるアスリートマインド

現在の業務内容と、そのやりがいについて教えてください。
川野:現在は、HR戦略センターで主に勤怠管理などの業務を担当しています。これまでの経験を活かして、OfficeスクリプトやRPAを活用し、業務の自動化を進めています。
また、当社が東京2025デフリンピックに協賛するということもあり、DE&Iの推進にも当事者という立場で積極的に関わっています。最近では、 LGBTQ+支援の活動や、デフリンピックに向けた広報活動などを会社として行っている最中です。
一番やりがいを感じるのは、やはり業務効率化の部分ですね。課題を把握して、それに対してどう解決するかを試行錯誤し、うまくいった時の爽快感は、競技をやっていた時に感じていた爽快感と似ています。
アスリート時代の経験が今の仕事に活きていると感じることはありますか。
川野:「初心を思い出す」ということですね。約11年間の競技生活で心の底から満足できたのはたった1度だけでした。それでも頑張り続けられたのは、「自分はどんな覚悟でこの競技を始めたのか」という初心を常に思い出すことで、突破力に繋がっていたからです。
つい最近も、この経験が業務で活かされたことがありました。デフリンピック関連の制作物のデザイン案が最終的に2つに絞られ、どちらにするかの判断を私が任されました。個人的には、よりインパクトの強いA案に直感的に惹かれました。しかし、そこでまた初心を思い出したんです。当社がデフリンピックに協賛する意義や、共生社会の実現を目指すという今回のデフリンピックの趣旨に立ち返って考えました。そうしたら、「ああ、絶対にB案だ」と決められました。今振り返っても、良い選択ができたなと思っています。やはり、最初の思いが強ければ強いほど、それが突破力として活きてくるなと感じています。
博報堂テクノロジーズの職場環境の整備やDE&Iの推進に関する取り組みについて、川野さんはどのように感じていますか。
川野:デフリンピックへの協賛も含め、DE&Iの推進に関する活動が進んでおり、とても面白い会社だと感じています。
例えば、私の場合は声のボリュームの調整が難しく、フラットなオフィスでは周りに対して気を遣ってしまい、あまり声を出せないのですが、オフィスにはテレカン用の個室ブースも用意されていますし、在宅勤務も可能なので助かっています。
聴覚障がいかそうでないかは、数値で線引きされているだけで、聴覚障がいでなくても耳が聞こえにくい方もいますし、逆に音が聞こえすぎて困ってしまう方もいる。そういった意味では障がいのある自分だけではなく、誰にとっても働きやすい環境を自分自身でチョイスできることはとても良いなと思っています。
また、コミュニケーションツールのひとつとして、「目安箱」というちょっと困っていることを気軽に投稿できる場があり、積極的に声をあげられることも安心感があります。
社員の学びの機会も豊富です。博報堂DYグループ全体で開催されているAIの活用方法に関するオンラインウェビナーなどは、私自身も積極的に参加しています。開発ブログなどを書いている先輩も多く、それを読むだけでも知らない単語がたくさん出てきて、自分はエンジニアリングの知識がまだまだ足りないと感じるので、これからどんどん知識を深めていきたいと思っています。
テクノロジーで生活をもっと豊かに

最後に、今後の仕事における目標や、業務外で挑戦していきたいことがあれば教えてください。
川野:これまで聴覚障がい者として生きてきた中で、文字起こしのようなテクノロジーが生活を劇的に快適にしてくれることを実感しています。そういったテクノロジーを積極的に活用し、自身の生活をより良くすることはもちろん、聴覚に障がいのある方が抱えている社会課題にも積極的に取り組んでいきたいと思っています。例えば、飲み会や騒がしい場所で楽しむことが難しいというのは、身を持って感じている課題のひとつです。こういった課題に対し、テクノロジーを活用しながら周りの方にも負担をかけない解決方法を考えていきたいです。
個人的に挑戦したいことが2つあります。一つは、文字起こしのようなアプリを、まずは真似事からでも良いので、自分で開発できるようになりたいです。そのための技術を身につけたいと思っています。
もう一つは、当社は副業が認められているので、前から夢だったコーヒーや猫関連のお店を開きたいなと思っています。当社の事業の競合にもならないはずなので、ぜひチャレンジしていきたいですね。
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<博報堂テクノロジーズの東京2025デフリンピック協賛について>
当社は「マーケティング×テクノロジーによって社会と生活者に新しい価値・体験を提供する」ことをミッションに掲げており、東京2025デフリンピックの「誰もが個性を活かし力を発揮できる共生社会の実現」という趣旨に賛同し、協賛します。
※ 記載内容は2025年9月時点のものです