マーケティングとテクノロジーの力で新たな価値を創造することを目的に、博報堂DYグループのテクノロジー開発体制を集約し、2022年4月に誕生した博報堂テクノロジーズ。博報堂DYグループのテクノロジー戦略組織としての役割を担う当社の中でも、プロダクト開発センターのAI研究開発部は、インターネット広告における広告配信やクリエイティブ領域におけるAI活用を推進する組織だ。今回はAIによってインターネット広告はどう変わるのか、AI研究開発部の川上孝介部長と、機械学習を用いたプロダクト開発のMLOpsのプロフェッショナル「ばんくし」こと、河合俊典氏が対談した。広告コピーといったクリエイティブ生成における機械学習技術の活用や、研究開発で終わらせないAI組織作りのポイント、さらにAIのできることがより広がる未来において我々エンジニアがやるべき仕事は?等をテーマに語り合った。
鉄鋼メーカーから広告テクノロジーの世界へ
川上:まずは私から自己紹介です。大学では東工大で宇宙物理を専攻、大学院では人工衛星を作っていました。卒業後は鉄鋼メーカーの研究所に入社し、サプライチェーン周りの最適化の研究を行っていました。
鉄鋼メーカーは資源を世界各国から運んでくるため、貨物船の航路の最適化のために機械学習を活用する必要があるんですね。そこに6年在籍しますが、ひょんなことから広告の世界に入ります。広告をデータサイエンスで最適化するという話に興味が惹かれたんです。それが4年前のことですね。
株式会社博報堂テクノロジーズ プロダクト開発センター
AI研究開発部 部長 川上孝介 氏
2013年大手鉄鋼メーカー入社。数理最適化・機械学習技術を応用したサプライチェーンの最適化業務に従事し、年間5億円以上のコスト削減技術を開発し社内特別表彰を受賞。特許取得、国際学会発表、ジャーナルへの論文投稿なども複数経験。 2019年negocia株式会社に入社。現在、東京工業大学にてAI分野での博士取得を目指しつつ、社内における広告運用最適化・広告クリエイト生成の研究・開発を担当。2022年4月より現職。
ばんくし:もともと物理が専門なんですね。データサイエンスの世界にも、最近、物理出身の方が増えているような気がします。
川上:物理屋は数理モデルを通して、数学的な美しさを追求することが楽しいという人が多いですからね。私は応用物理なので、もちろん理論も大切にしますけれど、それをベースに応用を突き詰めることが好きでした。AI活用というフィールドはもともと向いていたのだと思います。
ばんくし:私の得意分野はロボットなど、工学寄りのコンピューターサイエンスです。ロボットを動かすためには、集団学習アルゴリズムやNLP(神経言語プログラミング)、それこそレコメンデーションや画像処理も必要です。なんでもやらないといけなかったので、気づけば何でも屋さんになっていたかんじです(笑)。
もともと工学出身なので、モノづくりも好きで、プログラミングして実際に製品が出来上がるところはやはり面白いと思いますね。
ばんくし(河合俊典)氏
2016年にSansanに新卒入社、2年間ヤフーに所属し、その後医療情報専門サイトを運営するエムスリーに転職。2021年12月、製造業の受発注プラットフォームを運営するCADDiに転職。機械学習やデータサイエンスを担うチーム「AI Lab」をテックリードとして率い、2023年3月末に退職。
川上:人工衛星の研究では、信号を検出するために検出器を使います。同期信号をFPGAで読み取り、それをCPUで処理させるといった、ハードウェア寄りの研究もしていました。
生活者に関わる豊富なデータと、モデリングで意思決定できる魅力
ばんくし:博報堂テクノロジーズのプロダクト開発センターAI研究開発部は、どのような経歴の方が多いのですか。
川上:もともとプロダクト開発センターは、negociaというAIベンチャーが母体でした。それを博報堂DYグループのアイレップがM&Aを行い、2022年から博報堂テクノロジーズに合流したという経緯があります。私も、negociaではCDOとして、インターネット広告の広告運用最適化や広告クリエイティブ生成の研究・開発を担当していました。
そうした経緯もあり、開発センターのメンバーは基本的にみなエンジニアで、自身の技術を突き詰めてきた人が多いですね。海外企業を渡り歩いたのちにチームに参加している人や、あるいはいくつものベンチャーでWebエンジニアを経験してきた人、もともとは経営工学をやっていた人など、メンバーのバックグラウンドは多様です。
エンジニア主体の会社は広告のドメイン知識が不足しがちと思われがちです。しかし、博報堂DYグループには豊富なドメインの知識を有する広告のスペシャリストが多く在籍しています。このため、社内にドメイン知識が蓄積されているので、密なコミュニケーションを重ねて、お互いにフィードバックしながら、うまくプロダクト開発が進められていると感じています。
ばんくし:川上さん自身も広告業界のご出身ではなかったわけですものね。なぜ広告の世界にチャレンジしようと思ったんですか?
川上:インターネット広告は保有するデータの多さや、業務構造上、機械学習プロダクトが導入しやすい分野だというところに興味を惹かれました。 たとえば、前職の大手製造業では、業務が細分化された上に、密接に絡み合っていました。細分化された業務に機械学習プロダクトを導入しても効果は限定的で、かといって、業務をまたがって機械学習をプロダクトを導入すると、社内調整に莫大な労力を費やさなけれなりません。また、生産現場における取得可能なデータにも限りがあるため自動化はなかなか難しかったですね。
一方でインターネット広告は、広告効果が明確な数値として確認でき、アルゴリズムで最初から最後まで意思決定できる部分が多いので、機械学習プロダクトを導入しやすいです。
また、博報堂自体が保有するデータも魅力でした。消費者の生活や意識や行動に関わる、膨大な量のデータがあるのです。こうした豊富なデータ、意思決定を自動化できる余地があるし、そこに計算機資源を投入すれば、面白い仕事ができるんじゃないかと思いました。
ばんくし:機械学習プロダクトというと、機械学習で最初から最後まで意思決定するプロダクトと、ある程度人と協調しながら作業補助するプロダクトがあると思いますが、博報堂テクノロジーズはどちらに関われるのでしょうか。
川上:博報堂テクノロジーズはその両方に関われるという面白さがあります。例えば、広告の運用プロセスに関わるデータは定量的なので、人の意思決定を自動化できるものだと考えています。
ところが、最近話題の生成系のクリエイティブAIとなると、どうしても広告クライアントの意思や知識を入れながら制作しなくてはなりません。クライアントへの説明責任も生じます。AIプロセスにはなじまない非構造的な問題設定という課題があるのです。 そこで一気にAIで解くというよりは、AIで生成したクリエイティブをいくつか候補として提案し、その中から選んでもらうようにする。
つまり、取得可能なデータの質や、求められる意思決定のレベルによって私たちの業務設計も変える必要があると考えています。このように博報堂テクノロジーズはその両方に関われるという面白さがあります。
クリエイティブ生成AIはどこまで進んでいるのか
ばんくし:続いては、AIを活用したクリエイティブ生成の話を伺いたいと思います。そもそも生成系AIは、ビジネスモデルとして成り立っているのでしょうか。
川上:検索連動型広告における「広告文自動生成」と「効果事前予測」をAI技術によって支援する技術は、かなりの精度でできていると思います。これまでの広告運用で蓄積した膨大な広告文・運用データを元に広告テキストを自動生成し、配信効果を事前に予測することで、効果が高いと期待される広告文だけをスピーディーに配信することができます。
AIが数千もの広告コピーを作り、人が書いた広告コピーとABテストしたところ、AIが書いた広告コピーの方が質が高くて好評だったという例もあります。当グループには当然、クリエイティブの制作部門もありますし、それを評価する体制や広告運用の会社もあります。その強みを活かし、その技術を「H-AI SEARCH」というサービスとして提供するまでになりました。
ばんくし:そんなサービスができたら、広告のコピーライターの仕事がなくなってしまいますね(笑)。
川上:今はインターネット広告の市場は急速に伸びているので、コピーの需要はとても逼迫しています。従って、運用の自動化やより効果がいい広告コピーの提案に対して、抵抗感を持つ人は少ないですね。
むしろコピーだけでなく、クリエイティブ用の画像生成についても、もっと自動化してほしいというニーズを強く感じます。画像生成の技術も進んではいますが、ロゴや文章を組み合わせたクリエイティブ生成などはまだまだ難しい。今後も注力していきたいですね。
ばんくし:AI画像に対しては、イラストレーターや絵を描く仕事をしている人からの反発はないのでしょうか。元画像の著作権や倫理的な問題などはどう対応しているのですか。
川上:画像の場合は、自社のストック素材をいかに貯めるかが結構大事だと思っています。きちんと権利を確保した上で大量の蓄積を行う。そのデータを使って学習できるようにしていかなければ、独自のものを作れないし、他社との差別化にもならないからです。そうした体制を構築することが重要ですね。
モデルの民主化の後にやってくるデータの民主化にどう備えるか
川上:ばんくしさんは、どうやったらうまくいくと思いますか。
ばんくし:今は事前学習モデルや言葉で指示しただけでAIが画像を描き出す Stable Diffusion、ChatGPTもそうですけれど、モデル自体は誰でも使えるように民主化してきていると思っています。
その上で、次の5年・10年はやはりデータの民主化がテーマになると考えています。つまり、大量のデータから学習したモデルが登場することによって、みんながそれを使うようになる。その結果、個社が持つデータの価値が全部食い荒らされるといった世界が来るかもしれない。
川上:そういう世界になったら、何が起こると思いますか。
ばんくし:機械学習のエンジニアとしては複雑な気持ちです。私の仕事もなくなってしまうかもしれない(笑)。今でもGoogleのTransformerが登場することで、我々は「Transformer をただチューニングする人」になりつつある。こうした動きがデータにも波及していくのではないかと想像しています。
川上:日本の企業はどうやって差別化していけばいいのでしょう。
ばんくし:今後はデータと資金を持つ企業が、強くなっていくでしょうね。データは民主化するけど、それに対して適切な投資ができることが大事になってくると思います。
AI技術とビジネスをつなぐマネージャーの役割
ばんくし:博報堂テクノロジーズのプロダクト開発センターのAIチームは、現在何人くらいいらっしゃるのですか。
川上:クリエイティブAIチーム8人、オペレーションAIチーム8人で計16人ですね。プロダクト開発チーム全体は、グループ会社からの出向者や中途入社者を含めてどんどん人が増えています。これ以上増えると組織の再編成も必要なくらい、今は過渡期です。
ばんくしさんは、3月末までCADDi社のAI Labで組織作りをされてきましたが、そこでは何を重要視されてきましたか。
ばんくし:CADDiでAI Labを作った際は、もともと15人がマックスでそれ以上は増やさないと決めていました。
川上:新規に採用する時はメンバーから集めるんですか、それともリーダーから?
ばんくし:メンバーかリーダーというよりは、AIプロダクトマネージャーのような立場の人が最も重要だと思います。AI系の人材は、大学などアカデミアで研究してきた人が多いので、自分で研究計画を進めることは、ソフトウェアエンジニアに比べると慣れている人が多い。その分、セルフマネジメントができる人は多いと思うのです。
だから単に業務を管理するプロジェクトマネージャーはあまり必要なく、AI研究とビジネスをつなげる部分をマネジメントする人材の優先度が高かったですね。なかなかそういうスキルを持つ人は少ないのですが⋯⋯。
川上:たしかにAIプロダクトマネージャーのスキルを持つ人は世の中に居なさそうですね。
ばんくし:特にAI研究は、失敗の許容度が他の組織に比べて高くなくてはいけない。そもそも研究は失敗するものであり、失敗したら次はどうやるかをすぐに考えられることが大事です。短期的ではなく長期の投資で、失敗してもいい組織を作る必要があると思います。
川上:たしかに成果を出していくためには、どんどんトライしていって、モデルを生み出してはつぶし、つぶしてはまた生み出す、そのサイクルをいかに早く回して、その中で妥当なものをいかに見つけるかということですよね。常にマラソンしてる感覚で、研究開発を進めなければならない。
ばんくし:リサーチには、“遊び”の部分が必要ですよね。リサーチなので失敗をしてもしょうがないと考える一方で、どんどん試すことで筋肉質的にしていこうという考え方。どちらも必要なのが、AI組織だと思います。かといって、リサーチ組織や実用部隊みたいにきっちり分けるのも大変じゃないですか。
川上:分けたら分けたで、リサーチの成果が実務に応用されてない・使えてない、論文ばかり出しているといった指摘ばかりで、面白くないですよね(笑)。
ばんくし:社内にリサーチ組織を作るよりも、いっそのこと大学の研究室などに投資して、試行錯誤や成果をフル活用していく選択肢もありだと思うのです。そういう方法も含めて、最適なAI組織作りに成功した企業があれば、それは本当にトップ企業になるだろうと感じています。
博報堂テクノロジーズが引き寄せる広告の未来
ばんくし:これは御社のビジョンにも関わる話ですが、広告の未来を考える場合、広告を扱う人、広告を見る人たちがどう感じるかといった、人間的な話もする必要があります。我々ソフトウェアエンジニアは、単にプログラムを書くだけではなく、どうしたらみんなの気持を動かすことができるかも考えているわけじゃないですか。
川上:そうですよね。今我々が追っている指標は、インプレッションやクリック率、売上などの指標を見ていることが多いのですが、やはり広告の最終的な目的は、人を動かすこと。それは新しい常識を世の中に広めることだとも思います。
広告を出して、本当に人の気持ちを高められるようなものを作ることができたのか。受け手にとっても出し手にとっても、Win Winな世界をどうやって創り出したらいいのか。それを考えることも重要となります。これは、当社がやりたいことやビジョンにも繋がってくる話です。
一つの商品があった時に、この商品は何を広めたいのか、何が強みなのかを考えることも広告代理店の役割です。そうした知識がAIモデルの中に入ってくると、広告の可能性はもっと広がるのではないかと思っています。
ばんくし:今後の広がりという面では、他にどんな取り組みをやっていくのですか。
川上:一つは、我々が扱うメディアをもっと増やして、それを自動的に運用できる大規模な最適化モデルを開発すること。そこではインプレッションなど、単純な指標がまずは第一段階としてあるのですが、最終的にはその広告がいかに人の感情を変えたか、いかに世の中に情報を流布できたかなども含めて最適化したいですね。
もう一つはクリエイティブAIに関することで、広告文の生成はある程度できるようになったものの、画像や動画などの難しい部分は残っています。今後は、3DやXR(クロスリアリティ)分野での生成系AIの開発も必要になってくるでしょう。
人々の行動変容が社会と人を幸せにする世界
川上:数年後には、広告写真も3D画像でクリエイティブを作る。そういう時代が来るかもしれないですね。
ばんくし:すでに中国のVtuberはやっていますよね。人間が一切入らない。モデルもAIで作る。コメントも全部AIで返すAIアイドルが登場している。中長期的には人が入らないみたいな世界も来るかもしれません。
川上:メタバースの中を歩いて、人と出会って話をするのだけれど、それは人なのか機械なのかわからないけど、気づいたら何かに勧誘されているみたいな。
ばんくし:少し怖い世界ではありますね。ただ広告はやはり“人”だと思っています。人の感情が常に裏側にある。その思いを受け止めることもできるのは、やはり人間です。
川上:人間の営みをいかに良くするかを、人が考えるということですよね。人のリアルタイム情報は機械では全て取れないので、それを考えることが人間の仕事になってくる。むしろ、それこそが人間が本来やるべきことなんだと思うんですよね。
ばんくし:機械に任せられるところは機械に任せる。機械がやれないところで、人とより本質的に向き合うようになるんでしょうね。その時に果たしてマシンラーニングの必要性があるかはわからない。より人間の本質を捉える哲学のような素養が必要になるかもしれない。
川上:フィロソフィー・エンジニアですね(笑)。
ばんくし:いずれにしても、人を動かしたい気持ちが強いのはいいですね。
川上:広告という形態自体は古代からそう変わっていない。情報を提示して、何かを喚起して、それによって人が行動を起こす。その人の行動変容が社会にとってもいいし、その人の人生にとってもよりいい方向に向かっていく。それを実現するのが広告だと思うのです。それを機械学習だけではなく、様々なテクノロジーを使って、より豊かにしたい。それが自分でも面白いと思っていて、いま真っ先にやりたいことなんです。
ばんくし:現在の広告については、いい印象を持っている人もそうでない人もいると思いますが。
川上:たしかに「煩わしい」「鬱陶しい」といったネガティブな印象を持つ人もいます。それをいかに「見て嬉しい広告」に変えていくか。人が行動するにあたって、最もよい形で提供できるように、我々も技術を磨いていきたいですね。
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